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■ 教育問題 2 2006/05/25

 前回、小・中学校での教育に関しては、ナショナル・ミニマムの基準が必要であると書きましたが、高等教育に関しては、大学入試のあり方を抜本的に改める必要があります。大学側が入学者の「学力」(高校での学習習熟程度)の確認を個別に行う国は欧米ではまずありません。高校での内申書や全国統一の学力テストを参考にするのが普通です。理由は簡単で、大学には高校教育の専門家がいないので、判定ができないからです。高校の教育に関しては「素人」の大学教授が受験問題を作るのは、教授側も受験生側も双方が不幸です。
 米国では、基本的に作文と内申書で入学者を決めます。大学側は社会のリーダーを育てるという明確な基準がありますから、名門大学になればなるほど、「スポーツができて、楽器のひとつも演奏できて、生徒会長で、日曜日には1日中ボランティ アをしています。」という学生が選抜されます。また、高校までの教育では、論理的な作文の書き方と、それに基づいた口頭でのプレゼンテーションの二つを徹底的に鍛えられます。国語や社会のみならず理科でも数学でも、レポートを書くのが課題ですから、米国の大学生はみんな作文が上手で、しゃべらせたら天下一品です。日本のような無駄な受験勉強をする必要が全くありません。
 もちろん、良い大学に入るには激しい競争がありますから、当然「教育ママ」さんたちは発生します。日本と違うのは、「サッカーママ」と呼ばれるように、スポーツや音楽、あるいは生徒会活動に力を入れるようになります。そのようにして、体力や感性を磨いて入学してくる学生たちは、大学に入ってから、毎日睡眠時間3時間くらいで、死に物狂いで勉強します。なぜなら、出来が悪いと卒業できませんし、大学名よりも大学での成績が大学院進学や就職の際に評価されるからです。
 日米両国の大学で教えた経験からすると、日本の大学教育は学生にとって「消費」ですが、米国では「投資」です。大学に入るまでに、無駄な受験勉強で疲れ果て、勉強する意欲のない日本の大学生と論理的な作文を書く能力と気力、体力にあふれ、真剣勝負で勉強する米国の大学生を比べると、彼我の制度の差は明らかです。
 少子化が進み、大学全入時代が始まります。1950年には日本の高校進学率は40%。普通科が20%で、職業学科が20%でした。最近の高校進学率は95%以上で、普通科が約70%です。大学への進学率が5割近くになっている現在、大学への入学選抜のやり方を根本的に変えなければ、日本の高等教育は不毛なものにならざるを得ません。これまでのように、小手先の制度改正ではなく、大学側での学力試験を廃止することが必要です。
 大学入学年齢の18歳の人口は1992年のピーク時に約200万人でした。2009年には約120万人となり、17年間で4割減です。このような激しい変化が起きているのに、従来どおりの試験を行い、同じ人数の学生を入学させていては大学教育は成り立ちません。大学に迎える学生にどのような資質を求めるのか、選抜の方法をどうするのか、大学自らが発想の転換をしなければならなくなっています。
  参考図書:岸本周平「中年英語組」、集英社新書、2000年


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