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■ 教育問題 1 2006/04/25

 
 教育問題は、誰もが関心を持ちます。まず、自分自身が教育を受けていますから、ひとこと物申したい気持ちがありますし、子供の教育となれば真剣にならざるを得ません。孫や親戚の子供となると、少し気楽にはなりますが、やはり言いたいことは山ほどあります。ということで、一億総教育評論家になるわけです。それぞれの言い分は、その立場からはおそらく正しいので、収拾がつきません。その結果、これまでは大学入試のやり方を変えてみたり、学校で教える授業の量や内容を減らしたり、増やしたり、小手先の制度いじりをしてきたわけです。その間、いじめや非行は改善されることなくいわゆる「学力」も右肩下がりで落ちていきました。一方で、「体力」も同様の傾向にあります。
 問題は「学力」をはじめとして、言葉の定義をせずに議論されていることです。「ゆとり教育」の結果、「学力」が低下した。と言われても、「ゆとり教育」とは何か?「学力」とは何か?が定義されていないので、議論がかみ合いません。「ゆとり教育」の結果、学習すべき内容が3割減りました。学習時間も2割減りましたから、子供たちの学校での生活にはゆとりは生まれませんでしたが、学習すべきとされていた内容が「学力」であるならば、初めから3割「低下」させることが目的だったわけです。しかし、「思考力」を育てる「総合学習」の時間に学ぶことが「学力」であるならば、低下したのは「総合学習」のやり方が悪かったのでしょう。もっとも、「思考力」を正確に測定できたとしてですが。
科学的に証明できる基準を使わずに、「暗記」や「詰め込み教育」が悪くて、「思考力」を育てることが良いことだという感情的な議論をしていたのが実態です。今回、再び科学的な議論をせずに、「ゆとり教育」から元の「詰め込み教育」に戻すだけでは、困るのは現場の先生と子供たちです。
 小・中学校は義務教育ですから、「すべての子供たちが学ぶべきこと、社会に出たときに必要なこと」を決めて、それを教えることが最低限の学校の役目のはずです。日本では、このことが議論されたことがないのです。 欧米では、読み、書き、計算のうち、すべての子供たちができるようになるべき最低限の基準をつくり、それを教えるカリキュラムが国家の基準として決められています。英国が1980年代にナショナル・スタンダードを決めるとき、日本に大調査団を送り、「学習指導要領」なども研究したのは皮肉なことです。
 よく「学力」の国際比較がなされ、日本では下がった、上がったと大騒ぎしますが、子供たちが学ぶべきナショナル・スタンダードがきちんとしている国では、国際比較に一喜一憂する必要はありません。そもそも国際比較の対象となる「学力」と自国が目指しているものが違っているのですから、ほとんどの国はそんなものは無視します。日本は基準がないために、マスコミも役所も大騒ぎするのです。日本でも一日も早く、冷静で科学的に義務教育で全ての子供たちが学ぶべきナショナル・スタンダードを策定すべきです。
 参考図書:岡本薫「日本を滅ぼす教育論議」 講談社現代新書 2006年

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